五戸町の概要

@地勢
 五戸町は、三戸郡の東北部に位置し、東西16.8q、南北18.55qの面積122.14?の平地農村地帯です。
 東は八戸市・福地村、西は倉石村・新郷村、南は南部町・名川町、北は十和田市・六戸町・下田町とそれぞれ接し、中心部は八戸市から西に約16q、十和田市から南東に位置しています。
 その地勢は、戸来岳に水源を発し太平洋に注ぐ五戸川と新郷温泉沢に水源を発し馬淵川に注ぐ浅水川の2本の河川が、ほぼ並行して町を貫流しており、この2つの河川を挟んで集落が形成されています。平坦部は水利を得て水田が拓け、奥羽山脈の東に発達した緩やかで豊かな丘陵地帯は畑や果樹園などに利用されています。
 気候は太平洋型気候で、冬の降雪量は比較的少なく、この地方の特徴であるヤマセの影響を強く受けています。

A歴史
 五戸町に人々が定住したのは、数々の遺跡の発見から5,000年以上前の縄文時代までさかのぼると考えられています。鎌倉時代の文治5年(1189)甲斐国南部三郎光行が、軍功によって糠部(今の青森県三八・上北地方など)の五郎を授けられたのがいわゆる南部氏の始まりであり、この糠部地方が軍馬育成に適していることから、九つの戸(牧場)に分け、更に東西南北に分けた四門九戸の牧場制が敷かれ、ここから五戸の地名が誕生されたといわれています。史書に残る最も古い記述では、寛元4年(1246)、鎌倉幕府の執権、北条時頼が左衛門尉平盛時に下した知行状に「陸奥国糠部五戸」という記述がみられます。
 明治22年4月、町村制施行により五戸村となり、大正4年11月に町制を施行して「五戸町」が誕生しました。その後、昭和30年7月に川内村・浅田村と合併、その後野沢村手倉橋・豊崎村豊間内の一部区域を編入あるいは分離し、現在の姿となっています。

B人口と世帯

 総人口のピ−クは昭和35年の22,264人で、その後は減少傾向にあります。昭和55年は20,011人、平成12年には17,850人となっています。また、核家族化の進行により、人口の減少にも関わらず世帯数は緩やかな増加傾向を示しており、1世帯あたりの人員数は、昭和55年は4.0人でしたが平成12年には3.3人まで減少しています。
 年齢別の人口構成は、少子化の進行により15歳未満の若年層の占める比率が半減しているのに対し65歳以上の人口の占める比率は過去30年間で3倍以上まで増加しており、急速な少子高齢化の進行がみられます。

五戸町ホームページアドレス
http://hello.net.pref.aomori.jp/gonohe/
http://www.gonohe.net/

倉石村の概要

@地勢

 倉石村は、青森県の東南部に位置し、東と南を五戸町、西と南を新郷村、北は十和田市に接しており、東西約10q、南北約6q、面積55.68?の農村です。
 奥羽山脈系の戸来岳に源を発する五戸川が、村の中心を東西から北東に貫流し、その流域を挟んだ北と南に丘陵地帯が続き、村の座標軸を形成しています。
 気候については、太平洋型の気候帯に属し、夏季には偏東風(ヤマセ)が吹き、冷害をもたらすことがありますが、五戸川流域は盆地状の地形から、比較的温暖な気候となっています。流域には水田地帯が広がり、丘陵地帯には畑や果樹園が拓かれ、村域の60%が森林で占められています。
 こうした地形的条件から、季節感のある豊かな自然に恵まれ、情趣豊かな集落風景やさまざまな伝統芸能をはぐくみ、その気候風土は、生産性の高い農業を育てるなど、倉石村固有の産業や文化の風土を培ってきました。

A歴史

 村内には、縄文時代の遺跡や中世の郷村の姿をとどめる遺跡などが数多く見られ、早くから開発が進められていたことがうかがわれます。南部藩時代から昭和30年代後半まで一級の馬産地で知られ、明治16年に又重、中市、石沢の3村による戸長役が置かれ、明治22年(1889)の町村制施行に伴い倉石村と改められ、今日に至り、村制施行以来100年を超えています。

B人口と世帯

 倉石村の平成12年10月1日現在の国勢調査人口は3,468人、世帯数873世帯となっています。昭和30年の5,399人をピークに減少の一途をたどり、その間、昭和45年旧過疎法、昭和55年に新過疎法、平成2年に過疎地域活性化法の地域指定を受け、過疎対策を進めてきた結果、減少率は鈍化し、平成5年以降は比較的安定的に推移しています。
 世帯数は、核家族化の進行により若干の増加傾向がみられ、一世帯あたりの人口は、若者の流出や少子化の影響等によって昭和55年の4.6人から平成12年には4.0人にまで減少しています。しかし、最近においては、社会の成熟化や価値観の変化などによって、自然と共生する農村への関心が高まり、また一方では、景気の低迷等がきっかけとなり、Uターン、Iターン、定年帰農などが社会現象となるとともに、生活環境の整備や産業の振興、若者定住環境の整備等過疎対策の推進により、人口は、安定化の傾向を示しています。

倉石村ホームページアドレス
http://www.kuraishimura.com/

2町村のデータ
地目別面積                                           (平成15年1月1日現在 単位:平方km)
 
総面積
宅地
山林
原野
雑種地
その他
五戸町
122.14
16.84
21.09
5.12
56.43
3.86
1.80
17.00
倉石村
55.68
5.66
8.50
1.14
32.81
2.96
0.38
4.23
資料:税務課・税住民課
住民基本台帳人口                                                (平成15年3月31日現在)
 
人口
面積
(平方km)
人口密度
(1平方km当たり)
世帯数
1世帯当たり
世帯員
総数
五戸町
18,228
8,848
9,380
122.14
149.24
5,772
3.2
倉石村
3,544
1,721
1,823
55.68
63.65
1,059
3.4
資料:税務課・税住民課
国勢調査人口                                                        (単位:人・世帯)
 
五戸町
倉石村
総数
世帯数
総数
世帯数
昭和55年
20,011
9,630
10,381
4,985
3,709
1,771
1,938
809
昭和60年
20,031
9,713
10,318
5,132
3,607
1,726
1,881
816
平成2年
19,005
9,136
9,869
5,148
3,520
1,687
1,833
805
平成7年
18,214
8,738
9,476
5,372
3,452
1,652
1,800
817
平成12年
17,850
8,558
9,292
5,396
3,468
1,650
1,818
872
資料:国勢調査