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2万人には絶対になりません。それに参考までにいいますと、昔は昭和の大合併の時は内閣総理大臣勧告まで出たのですよ。実はここの二つは絶対合併しろと、内閣総理大臣勧告がでてもそれでもやらなかったんです。それでついにやらされたのはどこかといいますと、人口は9,000人以上もっていて、かつまた財政力もその当時の青森県内の市町村で4番目に良かった野内村が青森市と合併させられたのです。それ以外は一切合併はなかったのです。例えば弘前市と相馬村もなかった。こういうふうな形で一つのハードルを設けても結局そのままは絶対いきません。ですから一応1万人という線が基本的にありますよということなんです。だからその時のむらづくりとかまちづくりとか、野内と青森市が最終的に合併したのはなぜかというと、野内のほうは簡単にいいますと、浅虫の水道課の起債を立てるために、どうしても県に対してちょっとオブリゲーションといいますか、ちょっとマイナスをやってしまった。それが山崎岩男さんという知事ですが、その方がそれをつかんで合併せい、合併せいになって、その時に青森市が、じゃあどういう合併がいいのかといって、地域づくりのビジョンを示した。それで合併したんです。
ですから、基本的にはやはり単純に財政力とか人口という線だけでは決して物事は進みません。それよりもなんといっても大事なのは、まさにこれまでも議論してきたし、残念ながらどこか一つ抜けましたし、どこかなんて変ないい方しなくてもいいんですが、やはりそういう中で地域というものをどうとらえながら、ですから私はこのワークショップというものができたのは、大変重要だなというふうに思っておりますけれども、そういうふうな中で合併というものを考えていくときに、なにも人口規模や財政力うんぬんだけでたたかれたり、あるいは他の合併をしろなんてことには決してならないと思います。あるいは、なってはいけないと思います。
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